若い頃、僕は自由が足りないと思っていた。

何が自由かはさておき、何が自由を奪っていたかを思い出してみると、

それは、法律でもルールでも道徳でも無くて、

「お金と時間」だったように思える。

あの娘とイチャイチャしたいと思っても、お金と時間が全然足りなくて、やりたくないけどやらなくちゃいけないことに、自分の自由を奪われていた(と思っていた)。

心も身体も通じなくなった妻とも、「金曜日にはワインを飲んで語り合おう」と思ってワインを買って帰ったけれど、一人でワインを飲む日が続いた。

残業が当たり前の研究職だった僕には、それも果たせなかったというわけ。

僕が何を研究して、どんな成果を得たかについては、話したこともない(話でも分かる訳ないので)。 

ところが、

さっき思いついたことだけど、

今の僕には自由がある。

少なくとも、タイの田舎で皆とフラワーパークやいちご園をのんびり営むだけなら、時間やお金でやりたいことがやれないということはない。

もう歳だから、今更世の中をどうしてやろうとは思わないし、思っても出来ない。

残りの人生が幸せだったら、それで良い。

そんな今、突然思った。

今、このジジイの自由を阻害するものがあんまりない。

お金も時間も、タイの田舎でゴソゴソする分には充分にある。

毎日やりたいことを少しだけやって、会社や上長の為に、やりたくないことをする必要は全くない。

強いて言えば、マシュマロちゃんが僕に言い付けた片付け仕事に追われるくらい。

つまり、今僕は「自由がある!」と言うことかな?

その時と比べて、お金も時間もいっぱいある。

別に高級マンションを買いたいとは思わないし、超高級ホテルで何万円もするワインを飲みたいとは思わない。

使い切れないような広い土地を買って、土地成金になりたいとも思わない。

フラワーパークにジェット機を飾りたいとも思わない。

強いて言えば、時々温泉に浸かって、美味しい日本酒と魚えお食べたいくらい。

そのくらいしか無いのだ。

七海ちゃんと一緒に庭の草むしりをして、「ああ、面白かった。」と思えれば、それが最高の自由な生活。