子供の頃、僕はいつもうんこを我慢していた。幼稚園から小学校2年生くらいまでのことだが、今もよく覚えている。
うんこなんて家のトイレ以外では死んでもしたくなかったから、学校にいる時も遊んでいる時も、いつもうんこを我慢していた。だから、結果としてよく便秘になった。つまり出るべきもが出ずに、お腹が張ってしまって、苦しくてたまらなくなる。ガキのくせに4日も5日もうんこが出ないことが常だった。一旦便秘になると、うんこはだんだんと太くなるは硬くなるはで、ますます出にくくなるという悪循環に陥るのだった。そうなってしまったら、トイレで踏ん張ったところで、文字通りうんともすんとも言わなかった。
そんな僕を見かねて、父は
「でるかもしれないから、トイレでふんばってこい」と僕のケツを叩く。
「やだ、どうせ絶対出ないもん」と言いつつも、苦しいし一筋の希望の光がないでもなかったので、一大決心をしてトイレに向かった。
トイレの中で40分間、肛門が破れるのではないかという恐怖と戦いながら、汗だくになって持てる力をすべてを振り絞り踏ん張ったが、親指の頭ほどの硬いうんこのかけらが出ただけたった。僕は、泣きべそをかきながら、
「とうちゃん、やっぱりでないよう。一生懸命踏ん張ったけど、ほんのちょっとしか出なかった。えーん」
僕は、その絶望的な状況に同情を求めて泣いたのだ。
ところが、そのとき父は言った。
「よかったじゃないか。ほんのちょっとだろうが、出たんだから、全然出ないよりずっといい。」
えーん、えーんと泣きながら、絶望の中に希望の光を見て、心が少し軽くなった気がした。あのとき、「ああ、父ちゃんはなんて偉い人なんだろう」とひどく関心したものだった。
何事も、問題が一気に解決するなんてことはめったに無い。とても解決できそうにないことでも、頑張ってみれば、ほんの一歩だけ前進することがある。そして、その一歩の前進が、次の前進の引き金になるものだ。
大人になってから毎朝ちゃんと出るようになって、中年になってからは、逆に下痢気味で一日に3度も4度も出るようになった。もうちょっとためてからしたほうが、スッキリして気持ちいいのかもしれない。
