事業家のナンに誘われて、2つのお寺周りをしてきた。
僕はよくお寺に誘われるのだが、本当はあまりお寺めぐりは好きではない。一応仏教徒ながら、タイ人みたいに信心深くないし、どこも同じように思えてつまらないのだ。
しかし、今日連れて行ってもらったお寺は2つともちょっと変わっていた。
始めに行ったのは、ホイクワンの駅にほど近いソープランド(アップ・オップ・ヌアット)の間にあるインド系の小さなお寺。駐車場がないので、エメラルドホテルの駐車場に車を停めて歩いた。日本人御用達のナタリーの前で、ナンに「ここは日本人がよく遊びに来るところだよ」と教えてあげたら、ナンは「日本人の男は女好きなの?」と聞いてきた。そんなの国に関係ないとは思ったが、「日本人は女好きだよ」と答えておいた。アップ・オップ・ヌアットが日本から持ち込まれた文化だということをナンは多分知らない。
そのお寺の仏様は、腕が4本あって目が人間みたいで腹が大きなゾウさんの神様。ガネーシャ神というヒンズー教の神様で、障害を取り去り、また財産をもたらすと言われ、商業の神・学問の神らしい。なんかごちゃまぜだが、ヒンズー教からみると、仏教はヒンズー教の小さな一派にすぎない。
どうして、こんなところの小さなお寺にお参りに来たのかというと、今日がそのお寺のお坊さんの誕生日だからだそうだ。
せっかくなので「残りの人生でお金と女に不自由しませんように」とお祈りしてきた。そんなことは日本のお寺でお願いしたら罰当たりだが、ここタイではマイペンライ。それだけじゃ気が引けるので、英語で書いてあったサンスクリットのお経も一節だけ読んで来た。

4本の腕がある。ボストン美術館では無数の手を持ち、若い女を食おうとしているガネーシャがあった。

ゾウの神様の下にいるこの大きなネズミの片耳を手で抑えて、反対側の耳に人に聞こえないように何かをお願いする。どういう意味があるのかは分からない。願い事はもともと心の中か小声でするものだが、ネズミの耳にヒソヒソ願い事を言うのはユーモラスだ。でもお祈りするタイ人の表情は真剣そのもの。


タイのお寺は、ヒンズー教からミャンマー系の仏教、中国系の仏教と色々種類がある。
ここの仏様は男女のペア。仲良く座って微笑んでいる。こういう仏像は始めて。
次に行ったのは、オンヌットの近くのプラカノン川のほとりにあるお寺。

場所は青丸のところ。

雨が上がったところだったが、結構人がたくさん居た。

このお店で、放流するための生き物も買う。
生き物を自由にしてあげることで、得を積むというわけだ。

小魚一匹10バーツ。観賞用の熱帯魚より高い。

僕達が買ったのは、カメ2匹、なまず1匹、カニ2匹。それと、写真にはないが、泥にまみれた小さな巻き貝を2kgほど。
それぞれの生き物に意味があるらしい。健康を祈るなら〇〇。家内安全なら△△といった具合。ただ、タイ語がよくわからないので詳しくは理解できなかった。

ここが放流する川。対岸は写真のように人が住んでいた。

一気に放流。
水は黒く見えるが、結構透明度がある。川には魚がいっぱい。

放流したカメが泳いでいる。

放流地点から上流側を見たところ。穏やかだが、わりと速く流れている。大きな魚が時々水面に顔を出す。

下流側

放流後にお祈りしたのはこの標識のある仏様。
昔、ある女性が妊娠したが、夫が遠くに行かなければならなくなり別れ別れに。夫が帰ったときは妻はもう死んでいたが、何故か川で毎日会うことが出来たとか説明してくれたような気がする。

これが逢瀬につかったカヌー。

こういう水辺には、何故か悲しい女を祭ったお寺が多い。
ナコンラチャシマのサイ・ンガーン公園も似た雰囲気だった。木に巻いたカラフルな布。

女性の服や絵がいっぱい。生活の匂いがするが、ここでお参りをする。
若い女性がたくさんお参りに来ていた。男性はわずか。

まるで生活空間のようなお祈り場。

見つけたタイ文字の時計。年代物かと思ったら、クォーツだった。
蛇の這った痕にしか思えなかった文字も、いつの間にか読めるようになった。

お店の人がイヌと猫に餌をあげていた。お米が主体の餌で、犬達は不味そうに食べていた。

カンボジアからの屋台。ちょっと変わったものが多かった。歯で出来た飾り物や古銭。薬草の球根。

翡翠や石のブレスレット。見たところ天然石らしかった。
僕はいつものように何も買わない。写真だけが僕のお土産。カメラを持って行かなかったのが残念。
