僕ががブログを始めようと思ったのは、始めに書いたように、仕事を辞め一人バンコクで起業を目指して生活することを決めてからだ。今まで僕と関わりあってきた日本の友人、職場関係者の視野からは僕は遠く離れてしまう。そいうった人たちから僕が見えなくなってしまうのが、ちょっと寂しいと思ったからだった。それに加え、会社という生活の場がなくなったので、同じ志や趣味を持つ人達と新たに知り合う「場」を作ったほうがいいと思ったからだ。
他の多くのブロガー達がしているように、ネットの匿名性を利用して自分の顔や詳しいプロフィールを隠せば、安心して自分のやったこと思ったことを赤裸々に書ける。しかし、僕は敢えて顔出しを選んだ。どういう背景を持った人なのか分からない人間のブロクは、読んでも今ひとつ現実味がなく、どんな人が書いているのかもっと知りたいといつも思ってきたからだ。
このブログを読んでくれている人は、当たり前だが次の3つに分類できる。
1,僕のことを昔からよく知っている人
2,このブログの記事以外は僕のことを全く知らない人。
3.僕のことを少しだけ知っている人。
1と2は、当初から当然分かっていたことなので問題はないが、3がちょっと気になっている。正直、3に該当する人たちを想うと、自分のことを赤裸々に書くのに少し抵抗を感じるようになった。
もとより、このブログには僕の生活のすべてを書いているわけではないし、夜遊び、女性関係、起業案件等は、余り問題がなさそうなことしか書いていないだが(題材は山ほどあって、それを書けばもっと面白いブログになることは間違いないけど)、それでも3の人のことを思うと筆が重くなってしまう。最近ブログの更新が少ないのはそのためだ。
恥ずかしいとか、理解してもらえないだろうと思うからだが、それ以外に、自分のことを書けば当然僕の周りの僕以外の情報を開示することになり、それがどんな副作用をもたらすのか分からないのが怖いという理由もある。
例えば、チュラロンコーン大学のインテンシブ・タイの内容一つとっても、役に立つ人はいるかもしれないが、厳密には著作権を犯しているかもしれないし、間違った情報によって大学や同窓生に迷惑をかけてしまうこともありうる。
タイ人の友人のことについても、名前(あだ名)も記事も日本語のみの表示で、その友達の身近なタイ人には読まれないことを想定しているが、今ではグーグルトランスレーター等で記事をタイ語にも翻訳することが出来るわけで、何かの拍子で友人が記事の内容を知って、それが結果的にまずいことになることだってあり得る(これは実際にあった。今はその記事は削除した。)
すべての登場人物に事前に記事の内容を一つ一つすべて了解を取ってから書くなんてことは現実的には不可能だし、それをしなければいけないというなら、もうブログは書けないだろう。

